2009年度研究活動一覧」作成に際して

 

「研究活動一覧」は1990年度に第1号が冊子として発行され、本年は記念すべき第20号をまとめることになった。

20年の間に、大学における研究の在り方に対する考えは、当然ながら大きく変化してきた。特に近年、国の政策による集中的な研究費配分が行なわれ、これまで教員の自由な発想を旨としてきた大学の研究活動に様々な外的制約が加わることになった。例えば、研究費の獲得においては競争的な側面が強化され、同じ分野の中での競争だけでなく、分野間の競争にも勝たなければならない。2011年度から始まる第4期科学技術基本計画では「課題解決型」の研究を目指すとされており、ますます目に見える成果が求められることになる。工学には多額の研究費を必要とする分野が少なくないから、研究の選択も手法も自ずとそれらの制約を大きな因子として研究計画を考えざるを得ない。

そういう環境の中で、改めて大学の研究の役割とは何かを反省してみることは、大変重要なことのように思える。これまで、大学は主に基礎的な研究を行う役割を担ってきた。基礎的な研究には、必ずしも5年や10年でその価値が決まるものではないものや、「課題解決型」とは程遠い多分に文化的な意味合を持つものさえある。基礎研究ではテーマの選択が重要であり、それらは競争的に、或いは集団で決め得るものではなく、特定な個人のセンスやその研究者を取り巻く環境に強く依存するものである。このような研究を大学以外の機関や企業で行うことは困難であり、大学人の時間スケールの長さが、結果的に時代の先端を支える大学としての評価を得てきた。

また、基礎研究では、各個人に研究成果を求めるべきではなく、自由な基礎研究を支えている組織に求められるべきである。100人の研究者からなる組織であれば、100人に成果を求めるのではなく、毎年5〜6人がランダムに成果を上げていれば、その組織は良く機能していると判断すべきである。研究における大学の存在が認められてきたのは、教員全てが成果を上げてきたからではなく、自由に研究を行える雰囲気が幾つかの高い成果をあげる支えになっていたからである。

これらの大学の良さは、時代が変わっても失ってはならない。時代の流れにもすばらしい側面がある。しかし、時代を追いかけ過ぎると、他には見られない大学本来の役割を失って、大学の存在意義そのものが問われることにもなりかねない。過去は捨てるものではなく、蓄積されて初めて時代の流れの深みが増すものであろう。何事も二者択一ではなく、多様な価値観を認め、それらを融合して先を進むのが本来の大学の筈である。

20年を迎える期に、改めて今の時代を客観的に眺めてみてはどうだろうか。

 

福井大学大学院工学研究科長 鈴木敏男