22年度 優秀教員のことば

「日頃の教育に対する工夫および今後の教育への抱負」 — 生物応用化学科 堀 照夫

6、7年前の授業アンケートに「先生は我々を見降ろすように講義をした」とあり、愕然とした。 実際、私は教壇から降りることなく、一方的に授業を進めていた。 この講義方法は、今もほとんど変わらない。当時の学生に確かめると、「良い先生の講義は、学生が理解したか、時々教室を廻り、尋ね歩くものだ」と言うのである。 大学でも、小中高校でやられたような手とり足とりの講義を学生は期待しているらしいことを知った。 私は、このような学生の期待は一体何なのか?疑った。 手とり足とり、詰め込むだけの教育は高校までで終わらねばならない。 与えられた知識を鵜呑みにするだけで、いつまでたっても自ら思考する力が育ってこない。 「考えさせること」。これが私の大学教育に対する姿勢である。

良い講義は、いつまでも受講者の頭に残るものである。 私が学生時代に受けた講義でもいまだに鮮明に覚えている講義がいくつかある。 大変分かりやすく聞き流すことのできた講義はあまり勉強しなくてもよかったので、意外と記憶に残っていない。 難しい式の展開を延々と板書された講義などは、当時は理解が大変だったが、解らないから勉強した。これで力がついたものである。 また、教員自らの経験や偉人のエピソードなどが盛り込まれた授業は今でも鮮明に頭に残っている。 そのエピソードとともに重要な式が浮かんだりする。

私は学部3年前期までには「物理化学」の講義しか担当しないが、これは学生にとっても厄介で理解しづらい科目の一つである。 私の授業は、「私も物理化学は大嫌いでした。しかし、化学をやる人にはどうしても必要だから仕方なく勉強しました」から始まる。 学生は、この一言で大きく安堵感とやる気が出てくる。 理論的展開が多く、新しい理論、数式が出てくると、できるだけ身の回りの現象でこれを説明できる例を示すように努力している。 これで学生の目の色は輝きだす。飽きてきたかな、と感じた頃には、説明事項に関連した日常での出来事、偉人のエピソードを入れてやる。 学生は、また生き返って注目してくれる。“一方的に見下ろす授業”は自分自身でも改善されたなと感じる瞬間である。

授業は、学科で決められた教科書に従って進めているが、章末には膨大な演習問題が設けられている。 中から重要な問題を5、6問選択し、全員にレポートとして提出させ、翌週に、各問について学生に自分の回答を板書させ、この回答に従って私が説明を加える。 学生は正解を懸命にノートに移す。類似問題がテスト範囲であると学生に伝える。

3年後期では専門の講義として「繊維加工学概論」を担当している。これにはいとも簡単に学生が興味を示してくれる。 選択科目であるが8~9割の学生が受講し、最後まで受講者数は減らない。 自分の本当の専門は自信を持って講義できるためであろうか?

35年間、本学で教鞭をとり、ようやく講義のあり方が解ってきたような気がする。 しかし一方では、学生の勉学の仕方・姿勢も変化したなと思う。教員もまた柔軟に対応しなければならない。 日本の教育全般を考えるに当たっては、できれば大学入学前までの教育に、いくらかでも、生徒・児童に考えさせる工夫ができないかと思う。

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