23年度 The teacher of the yearのことば

「日頃の教育に対する工夫、及び今後の教育への抱負」 — 物理工学科 森田 紀夫

物理工学科の『優秀教員』だそうである。 ・・・と言っても,今年度の物理工学科の三年生のうちのたったの2割程度の学生が「最も良い教員」と「2番目に良い教員」として私に投票しただけのことらしいので,『優秀教員』などという仰々しい名称が果たして適当なのかどうか甚だ疑わしい。思うに,私と相性のよい学生が今年度の三年生にはたまたま他の年度よりも幾分多かったというだけのことなのであろう。今年度の三年生にだけ何か特別なことをやったわけでもなく,授業にことさら工夫をしているわけでもなく,普通のことを普通にやっているだけである。そんなわけで,「教育に対する工夫」とやらについてはことさら書くことも無いので,「今後の教育に対する抱負」の代わりに,常々思うことをとりとめもなく以下に記すにとどめたい。

学生はなにゆえ大学に入って来るのであろう。おそらく大半の学生は,大卒の方が就職に有利だから,そして就職してからもたぶん有利だろうと思うから入って来るのだろう。しかし,大学を出ていさえすれば有利であるなどという時代はとっくの昔に終わっており,個人の能力次第という時代に入って久しい。とりわけ現在の日本および世界の経済情勢は,学生にとって可哀想なくらいに悲惨であり,それは以前のような景気循環による不景気とは異なって,当分(おそらく今後数十年)大きく好転するとは思えない。当然,企業間の競争,個人同士の競争はますます激しくなり,そんな時代を生き残るためには,これまでにも増して,自身の能力が重要になってくる。大学で学ぶことは,その能力を身に付けるための基礎となる重要なものであり,それを思えば,自ら進んで積極的に学んでしかるべきものであろう。しかるに,ここ数年の学生を見るに,以前よりもなお一段と積極性が低くなり,真面目な学生であっても,ひたすら受け身に授業を受ける者が目立つようになっているように思われてならない(これが「ゆとり教育」の『成果』なのか?)。

しかし,こんなことをいくら学生に言ったところで,積極的に学ぶことのモチベーションにはなるまい。社会に出て実際に「痛い目」に遭うまでは分からないであろう。それが人間というものである。ましてや,授業に幾許かの工夫を加えたところで,さほどの効果があるとも思えない。では,現在学生である者が目の色を変えそうなものは何だろう? 思うに,その一つは金(カネ)ではないだろうか。おそらく大半の学生の授業料は親が出していよう。親とは有り難いものである。我が子の将来の幸せをひたすら願って授業料を出す。しかし,それが必ずしも良い結果となっているとは限らない。授業料は,親から直接に金融機関を介して振り込まれるか,学生自身が振り込む場合でも親から素通りで,学生は,その金額を頭では分かっていても,実感として分かっている者は希ではないか。それが非常に良くない。現在この大学の授業料は年額約54万円である。これが高いか安いかはよく分からない。しかし,少々乱暴ではあるが,これを年間の授業日数(期末試験を含めて,32週×5日=160日)で割ると,1日あたり約3,300円である。おそらくこれは,400〜500円のコンビニ弁当を食べて生活している学生の実感としてはかなりの額であろう。そこで提案であるが,授業料を半期ごとに振り込むのではなく,学生に,毎日の授業の前に自分のポケットから金3,300円也を出して自動販売機でチケットを買わせるのである。そのチケットを持っている者だけが,その日の授業を受講できる。これなら,今日の授業にいったい自分はいくら払ったのかを毎日強烈に意識することになり,映画やコンサートや遊園地などと同様,「モトを取らなければ損だ」という気にならないだろうか? むろん,その反作用として,授業に対する評価も飛躍的に厳しくなろう。しかし,それがまた良いのである。

もちろん,これは9割方冗談のつもりの話である。いろんな弊害が出てくるであろうし,経費や手間も相当なものであろう。しかし,それでも私は学生諸君にいつも問いたい。「今日は,3,300円分,勉強したかね?」と。

←1つ前のページに戻る

教育

工学部・工学研究科

優秀教員

GPプロジェクト