24年度 The teacher of the yearのことば

「教え甲斐と教え害 Part 2」                — 材料開発工学科 飛田 英孝

ちょうど1年前週刊広報センターに「教え甲斐と教え害」と題した雑文を書きま した。
(http://pr.ad.u-fukui.ac.jp/kohotimes/?p=862)  ここ数年、私の心に引っかかっているのは、教育の持つ「後ろめたさ」です。

 刺さった二つの言葉

一つ目は、週刊広報センターにも書いたイヴァン・イリイチの言葉。「麻薬が麻薬への需要を生み出すよ うに、教育は教育への需要を生み出した。学ぶことが、教えることにとって代わられた。」学ぶことは、 成長すること。教師が成長を阻害している面はないのでしょうか。

もう一つは、数学者ハンス・フロイデンタールの言葉。「子どもが自分で発見できるような秘密を、す べて教師が話してしまうことは、悪い教え方というよりむしろ罪悪である。」罪悪なんて言われると、ド キッとしてしまいますよね。

 教えない教育、あるいは教え合う授業

現在の私のテーマは、iTunes U に負けない授業。世界中の優秀な教員が授業をインターネットで公開し始めています。学生がひとりで学ぶのであれば、iTunes U にはかなわないかも。大学は、学びのコミュニティであり、人々が集うフォーラムです。協働して学ぶイキイキとしたプロセスこそ、iTunes U にはない人類的学びなのでは。

授業では、グループでの話し合い、教え合いを積極的に取り入れています。問題を解く宿題ばかりでなく、問題の自作を宿題にして、授業の最初に問題と解答を隣の学生に説明する作業も取り入れています。 座席は、乱数プログラムで(もしくは名札を当番学生が机に配置して)つくった指定席。隣の学生もどん どん変わります。グローバル時代に求められるのは、文化も価値観も異なる本質的に分かり合えない人た ちに対し、粘り強く共通性を見いだし擦り合わせができる知的体力。語学はそのための道具に過ぎません。仲間内だけの「おしゃべり」からの脱却がグローバル・コミュニケーションには必須でしょう。

今年の反応工学の授業では、反応速度の単位はいかに定義されるべきかという問題について、第1回目と第2回目にそれぞれ15分ずつ学生たちに自由に意見を述べさせました。私自身はコメントを加えるだ けで答は示さずに授業を進めました。「管型反応器の設計」に関する授業では、管型反応器ではどんな現 象が起こるのだろうかという話題を授業のマクラにしたところ、学生たちから思わぬ意見が続出。結局、 1時間半ほぼその話題に終始しました。でも、何の説明もなく設計法の講義を始めなくて良かったとホッ としました。喩えて言えば、「教師が可憐な薔薇の話をしているのにバオバブの巨木を頭に描いている」 学生もいたのですから。学生たちと共通性を見いだすことが極めて困難な状況であったワケです。

若者のコミュニケーション力不足が問題視される昨今ですが、より深刻な問題は、私たち教員のコミュニケーション力不足なのかもしれません。コミュニケーションの基本は、相手のことを理解しようとする こと。相手のことを理解しようとせず、一方的に自分を理解させる行為はハラスメントです。もちろん、 教育という目的にハラスメントが有効であるなら敢えてこれを使うという決断も必要ですが、コミュニケ ーション抜きのハラスメントばかりでは、授業が学ぶ意欲を蝕む拷問になりかねませんよね。


 

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