25年度 優秀教員のことば

「少人数教育の問い直し」                    — 物理工学科 青木 幸一

大都市の話になるが、子供が入学予定の私立幼稚園や私立小学校を選ぶ最終段階で、親は具体的な評価をする。母親は、授業見学で教師の目が生徒に注がれている回数の多い学校を良しとする。父親は[学費]×[教師数]÷[生徒数]の小さな学校を良しとする。多くの人は科学を体得し、少人数教育を定量化している。

他人事でなく、我が学科も少人数教育の審判を受けているはずだ。物理工学科では少人数教育として、入門セミナー、6単位分の学生実験、外書購読、2教科の達成度別クラスを教育課程の中に組み入れている。上記3教科では、1教員が細かい配慮のもとに、学生5-6人を担当している。「本学科は学生個人を大切にする」と保護者に説明するのには鼻高だが、実のところ、始めからそれを目指したわけではない。改組時に学生実験を立ち上げたとき、1学年全員が同時に実験できる大きな部屋がなかったから、小部屋ごとに学生実験をせざるを得なかった。さらに、同じ課題を同時に進行するだけの数の実験器具がなかったから、各研究室で不用な実験器具を寄せ集め、小部屋ごとに教員を配置せざるを得なかった。おのずと、少人数の実験になった。大学入門セミナーでは、学生を教員全員にばらまいた。その心は、「教員一人当たりの教育負担は零とみなせるほど薄く」。科学英語教育である外書購読も同じ考えに基づき、全教員にばらまいた。結局、責任逃れと無策の結果として、「素晴らしい少人数教育体制」が出来上がった。その経過を知る人が少なくなるにつれて、「素晴らしさ」だけが独り歩きした。

教員の人数が減るにつれ、教育負担が表面に現れた。少人数クラスでは「教育負担は零」のふりをしても、まじめにやれば教材作成の授業準備は通常授業と同じである。「零負担」は、ただで教員を働かせる口実である。ただ働きした分だけ、卒論などの研究室活動が犠牲になる。卒研生は失望して他大学の大学院を目指したり、就職に切り替える。「教育準備なしで授業せよ」と勧めることにもなった。入門セミナーでは、教員が学生と個人的に付き合うのが苦手な場合、適切な教育の質を保てない。外書購読では教員は語学の専門家ではないから、準備なしの授業は学生にとって退屈である。授業が担当教員の専門外のことがらに依存してしまう。つまり同じ質の教育をすることができない。だからシラバスに掲載されていない内容で授業が行われる。

学生個人を生かすような大人数授業ができないものだろうか。矛盾命題に挑戦しても結果は決まっているが、どんなものかやってみた。目的は、90分内で全員に意見を求めること。学生一人当たり、30秒から1分程度で発言させる必要がある。「外書講読」において実践してみたところ、全員を一巡できるよう、意見を出させることができた。英文を音読させ、コンピュータ訳の問題部分を指摘させるだけだから、学生にとって短時間にできる。しかし、その後にストップウォッチを見ながら秒を争って解説するので、大汗の連続となる。だから授業後の会議など、疲れて出られない。しかし担当教員延べ数9人分が浮くとなれば、来週も挑戦しようかという気分になり、新たな力が湧いてくる。

 

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