26年度 優秀教員のことば

「日頃の教育に対する工夫,及び今後の教育への抱負」   — 情報・メディア工学科 山田 徳史

自分で言うのもなんですが、私の授業はまあわかりやすいと思います。くどいほど説明しますし、板書も結構きちんとしますし、声も大きいですし。ずっと昔に塾で中学生や高校生を教えていたときも「わかりやすい」と生徒や保護者から評判でした(本当です)。ちなみに高校の教員免許も持っていますので資格的にも「先生」です。そういう人の授業ですから、普通に受講していればわからないことはまずないのではないかと思います。「工夫」と言えるほどのものではありませんが、授業の最初は必ず復習から始めるようにしたり、途中に5分の「振り返り時間」を設けて学生が集中力を維持できるようにしたり、毎回必ず課題を出して添削して返却し、内容に応じて再提出させたり(文章に主語がない、提出された紙にしわが寄っている、ωなのにwに見える、というだけで再提出、場合によっては再々提出)、といったことをしています。こうしたことで学生からは結構肯定的なコメントを毎年もらっています。ですので、これでよし、といつの間にか安心して考えなくなっていた面があるように思います(教え方に関しては定常状態に達していた)。が、昨日の「グローバル化時代の人材育成に関するシンポジウム」の講演を聴いて、考えさせられました。なかでも、「1学期間に20ページ以上の論文の執筆」と「1週間に40ページ以上の文献講読」の両方が要求される授業を受けたことがあると答えた学生の割合が米国では42%であり、その数字ですら米国では「たった」という表現で紹介されている、という話は(まだ頭の中で出口を求めてぐるぐるとまわり続けている状態ですが)、やるべきことを思い出させてくれました。かつて実験を担当していたときには「1学期間に20ページ以上の論文の執筆」程度のことは求めていました。しかし、最近ではそうしたロードを学生に課していません(卒研生は別です)。私が現在担当しているのは通常の講義形式の授業が主ですが、「学生に読ませる・書かせる・考えさせる」仕組みを取り入れ、学生にもっと勉強させるスタイルに移行したいものです。

「工夫」も「抱負」も書きましたので、少し補足します。実は、最初に恥ずかしげもなく書いたことは、大学生を相手に私がやりたい授業のスタイルからは大きくかけ離れています。本心を言えば『中高生を教えるのと同じスタイルで大学生を教えるのは情けないしみっともない。そんな授業を受けて「よかった」なんて言ってほしくない。』と思っています。そんな授業の一番の弊害は、「懇切丁寧に指導してもらって当然」というお客様意識を学生に持たせてしまうことにあると思います。仕事に就いて「文句を言われる」立場、すなわち「お客様」を相手にする立場に立ったとき、大学時代をお客様として過ごしてきた(過ごさせてきた、甘やかしてきた)ことのつけが、一気に出るような気がしてなりません。そうならないためにも、もっともっと学生に読ませて書かせて考えさせたいものです。そして、それと並行して、「日本語がおかしいとお客様に相手にされないよ。ωをwと書いたらお客様に伝わらないよ。お渡しする説明書がしわしわだとお客様に大変失礼だよ」といったようなことを見過ごさずに指導することも、彼らが将来「文句を言われる立場になる」ことを考えれば、(幼稚なことに見えるかもしれませんが)やはり必要なのではないかと思います。

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