27年度 The teacher of the yearのことば

クリスマスと教育                       — 材料開発工学科 飛田 英孝

今年も残すところ10日余り。そんな年末にこの原稿を書いています。残り少なくなると何事も愛おしくなるもの。クリスマスって、本当に良く考えられた祭典だと思います。今年の4月、「定年まで、あと10回しか授業できないんだ」と気づいたとたん、これまで面倒に感じていた授業が急に愛おしく感じるようになりました。

 

弱きものは幸いなり

通常は「心の貧しい人々は、幸いである。」と訳されていますが、古代ギリシャ語から気仙沼方言に訳した山浦玄嗣さんは、本来の意味は「よわよわしい人」で「心貧しき人」は誤訳だと指摘しています。なぜ、弱々しい人が幸いなのか。多分、これは、弱い人自身が神に救済されるのだから幸せだと解釈するのが聖書解釈の王道なのでしょう。でも、最近の私は、「弱い人が身近にいてくれることが幸い」なのではないかと思っています。弱い人を助けようと思うことで、弱い自分が強くなれます。最新の心理学研究でも「他者をいたわると恐怖が弱まり希望が強まる」ことが指摘されています。

学生は、学校社会では「弱きもの」です。私の「しょうもない話」でも熱心に聞いてくれるのですから、本当に有り難い存在です。なんとか学生たちに分かってもらいたいと思うからこそ、考えを巡らせます。実は、私の研究の基本アイディアは、学生たちに理解してもらいたいと思って工夫したモデルから生まれたものです。「弱きもの」が身近にいてくれたことを本当に有り難く思っています。我が家では、子供たちが巣立ったあと、ポメラニアンが弱きものとして大活躍しています。

 

システムは弱者基準で

先週まで胃腸の調子が悪くて困りました。そんな時は、食べる量を減らし、胃腸の具合を最優先して生活しますよね。システムの健全性を維持しようと思えば弱いところが基準になります。でも、競争社会では強いところにばかり目が行きがちで、弱いものを助ける余裕を失うこともありますよね。「私に助けさせてください」(@夢千代日記)と言えないことが幸福感の喪失につながっているのかもしれません。

アメリカは、建国以来、移民の流入を前提とした特異な社会です。流入を前提とすれば、その中で「良きもの」を選別しさえすればシステムの維持は可能ですから、弱者のことを考えないのは、ある意味、あたりまえ。臓器移植を前提として、弱った胃を見捨てるようなものです。でも、手持ちの資源が有限であれば、その中でやり繰りしなければならないのがあたりまえ。日本社会は、後者に属するのではないでしょうか。組織のフルメンバーである限り誰も見捨てない。それが、有限システムの活動持続条件。あらゆる制度設計は、構成員の中で最も弱いものを基準とすべきだと思います。(強きものに対しては、お節介せず邪魔をしないことこそが「助けること」だと思います。)

 

クリスマスの幸せ

クリスマスほど、世界的に広まった行事はないのでは。クリスマスの基本は贈与。しかも贈与を受けた人に反対給付するのではないという捻り技を加えた贈与です。親は、子供たちにサンタとしてプレゼントを贈る。そして、贈り物を受けた子供たちは、その贈与をサンタ(親)に返すのではなく、成長後、次世代を託す子供たちに贈る。これって、まさに教育のことですよね。

最後に、私が留学していたMcMaster大学のスグ近くにあるトロント市の公立学校が掲げる文言をもじって書いた現在の私が理想とする学びの場の姿を。「学習や研究を好み、思考を明確にし、感動を深くし、行動を賢明にし、人と共同し、問題解決者となり、他者の文化を尊重し、高度な専門技能を持った人になることを目指して人々が集う場。」そんな場所をイメージして、残りの9年3ヶ月を過ごせればと思っています。

 

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