29年度 The teacher of the yearのことば

教壇に立ち28年,今思うこと                  — 物理工学科 高木 丈夫

平成が始まった平成元年に,本学に着任した.最初に他学科の応用数学系の授業を受け持ったが,出席は取らなかったし期末試験のみ十分な点数を取ったら合格としていたものである.この当時は猛者もゴロゴロいて,学期最初の授業が終わった後で,
「期末試験で満点を取りますから,次は期末試験でお会いします.」
と言って,本当に満点を取ってくれた.地方大学にも旧帝大系の雰囲気を持つ学生が居ることを,嬉しく思ったものである.実は,授業に出ないという行為は,学問に対して自分なりの解釈を与える能力を養うには極めて大切なことであり,とくに理学系の研究者を目指すならば必須事項と思う.このことは,大学に入学した最初の専門の授業でトクトクと説明された.授業に出席して教員の説明を受けてしまうと,その教員が優秀であるほど学生の考える余地が無くなってしまう.だから,せめて自力で学問の解釈が困難な,しかし向学心のある学生には,教科書に無い教員独自の解釈を明確に話してやる必要があり,それが授業としての価値なのだと思う.

 

さて,出席を取らない方針が破綻し始めるのは,第二次ベビーブームに伴う学生定員の臨時増が始まった頃である.学科の人数はそれまでの倍以上の100名を超え,こうなると学問的な興味が薄い学生も多数混在するようになる.1限目の必修授業なのに,授業時間最初の出席人数は15名!という事態になったところで,出席を取る事を決断した.この時点で欠席をする学生は,自力で勉強をするでもなく,単純に勉強が嫌いなのである.さて,出席と取り出したら,優秀な学生達から文句が出た.
「教室が荒れるので,出席を取らないで欲しい.出席したい者だけの授業にしよう.」
と言うものだ.今の時代からすると涙が出るほど嬉しい意見である.さて,このような事態に対応しなければならない.そこで,今に続く授業スタイルを取ることにした.授業に興味を示す学生には居心地の良い,そうでなく授業の雰囲気を壊す学生には,徹底して嫌われる様に振る舞うと言うものである.つまり,ベストティーチャーとワーストティチャーの投票をするのなら同時受賞を目指す,という事だ.出席は遅刻を含めて厳密に取る.そうすると,教員が授業に遅れることは許されないため,電子出席が採用されて以来,1秒たりとも遅刻したことはない.授業中に授業に集中せず騒ぐ学生がいたら,指名して受講するのに必要な概念的準備が十分かを質疑応答する,この時には高校時代に獲得しておくべきことから質問を始めると懲らしめるのに都合が良い.まあ大抵は全く答えられない,だからこそ授業に集中できないのである.世の中では,これをアクティブラーニングと呼ぶかも知れない.(笑)まあ,5分も質疑応答をすると学生は降参する.このようなことを数回繰り返すと教室は平穏になり,授業を聴きたい向学心旺盛な学生にとっては好ましい雰囲気となる.やはり大学たるもの,学問が好きな学生を大事に扱うべきである.

 

余談:最近,教育技法がいろいろ話題になるが,チョットうっとうしい.これらの技法概念が無かった以前から名講義は在ったわけで,自在に講義ができる教員は,意識せずとも随時,必要な要素を取り入れて授業を行っているのである.まあ,昨今の状況は,そういうことがうまく出来ない教員のための指導,と思って聞き流している.シラバスの存在すら,教科題目に拘束されずに場の雰囲気に合わせて自由に授業がしたい僕にとっては邪魔以外の何物でもないが,今の時代シラバスぐらいは提出しないと叱られる.

 

今年度,担当している授業が旧カリキュラムで2年後期開講なのだが,新カリキュラムで3年前期開講となった.そのため本来,今期は開講しなくてもよいのだが,必修ながら合格率3割強の授業であるため,再履修が必要な過年度生(3年生)のために開講することになった.

 

余談:単純に授業の合格率だけで授業の質,その他を判断してはいけない.学生が勉強しないことが原因の不成績と,能力的に到達できないことによる不成績は峻別する必要がある.「この科目は勉強しないと落ちる.」とホザク学生が多数いるが,勉強しないでも通る科目が多数在ることこそが大学として問題なのだと思う.

 

この科目が,2年生の空き授業のコマに割り当てられたことから,2年生達をこの授業に誘ってみた.もともとこの授業は,それまでの色々な授業が解っていないと理解できないため,最初の数コマはそれまでの他の授業全体の復習も行っている.2年生が,単位にならないとはいえ受講する価値はあろうと思い受講を勧めたのである.その結果,なんとほぼ4割の2年生が参加してくれている.それも一部学生は過年度生を差し置いて,最前列で.聴講してくれている.何か,学生時代に講義を受けていた頃を思い出して,嬉しくなる.そこでは,出席調査も受講登録も無かったし,他学年の授業を受けるのも自由(単位にはならないが),大学院の授業も受けに行ったし,大学院生時代に興味のある学部授業も受けに行った.単位のことよりは,学問的な興味が第一だったのである.さて,この授業をするのが実に楽しいのである.本来,開講しなくてもよい授業を行わなければいけない面倒臭さを遥かに超えて,授業に興味を示す学生がいてくれることが楽しい.なにか久しぶりに,授業をすることが本当に楽しいと思えるのである.

 

教壇に立って以来,いろいろ授業の方法論は試してきたが,どうにも不可能だと思うようになったことがある.それは,教室の後方で授業を聴かない学生の耳をこちらに向けさせる事である.これはもう,どうやっても無理らしい.やはり水を飲む気が無い馬に水を飲ませるのは不可能な様である.この様な学生には,辛く当たる方が教室の雰囲気も締まるし,彼らへの効果は別にして,教室全体の教育効果は上がるようである.

 

 さて,もう教壇に立てるのは,残す所6年間となった.今さら授業スタイルを変える気もないので,この先も,ベストティーチャーとワーストティチャーを同時受賞するつもりでやっていこうと思う.教壇に立つ役者としても,この様な役を演じるのは実に楽しいのである.ベビーフェイスを演じるのは,退屈すぎるのだ.
最後に,このような授業スタイルに対して投票をしてくれる物理工学科の学生たちに感謝しよう.今となっては,この様な授業スタイルが成立するのは,この学科だけなのだと心底思う.非数物系学科での僕の評判の悪さは,自分でもよく解っているからね.

 

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